自主性と主体性
学びの場の価値を高めるプラットフォームを提供する、
FLENS(フレンズ)株式会社の社長・大生 隆洋のコラムです。
ICTを活用し、教育の新たな価値を生み出すことに挑む、その想いを語っていきます。
年末に書いて以来、3カ月ぶりの投稿です。ようやく書くことができます。
遅くなりましたが、本年もよろしくお願いします。
A「今日は天気予報で降水確率60%だったので、傘を持って行きなさい!」
B「今日傘はどうするの?」
朝出がけの2パターンの様子です。
さて、今日のテーマは「主体性」と「自主性」について述べます。
日常的には2つの言葉は、区別して使われることは少なく、大抵の場合は「自主的」という言葉で使われることがあります。しかし、教育という場面では、明確に分けて考えることが大切だと考えています。
まずは言葉の意味・定義を明確にします。
「自主的」とは
辞書で調べると、「他からの干渉や保護を受けず、独立して事を行うこと。」とあります。噛み砕いていうと、やるべきことが決まっていて、他人から言われなくても率先してやることです。
「主体性」とは
辞書で調べると、「自分の意志・判断で行動しようとする態度。」とあります。噛み砕いていうと、やるべきことが決まっていない状態で、自らの判断で行動する姿勢です。
教育においては「自主性」と「主体性」はともに重要な概念であるが、私が子ども達と接してきた経験などから、教育現場では、「自主性」がかなり重視されていて、「主体性」は重視されていないように感じます。
主体性とは、自主性の上位概念にあり、どうありたいかから始まり、何をするか(しないか)、どのようにするか(しないか)を自ら考え判断する姿勢です。こども達に「主体性」を身に付けさせようとすると、教師は、ここから子ども達と対話する必要があります。教師に相当の受容力が求められます。忙しい教育現場やすぐに結果を出さなければならない環境では、なかなか子どもの「主体性」を育む余裕はありません。ゆえに、やるべきことを教師が示して、教師に言われなくても自ら進んで勉強できるこどもに育てることが、結果的に効率的な教育となっているように思います。
しかし現実の社会は、変化のスピードが速く、過去の成功体験がそのまま使えない、正解のない中で何をやるかを自ら考え、判断する力が求められています。
「主体性」を育むためには、何を目指すか、何をすべきかを子どもに寄り添って一緒に考えていくこと、そして、子どもが自らやるべきことを選択するようにすることが大切だと思います。その上で、それを「自主的」にできるように促していくということになると思います。
冒頭の2パターンの出がけの対応ですが、親としては、雨が降ってずぶ濡れになってもらうと困るとか、迎えに呼び出されるのを回避するために、雨が降りそうなので傘を持って行って欲しいとの思いがあるが、あえて、Bのように判断を子どもに委ねるように心がけると良いと思います。
その判断を受容できるかどうかが「主体性」を育むポイントになると思います。