塾と私(3)
学びの場の価値を高めるプラットフォームを提供する、
FLENS(フレンズ)株式会社の社長・大生 隆洋のコラムです。
ICTを活用し、教育の新たな価値を生み出すことに挑む、その想いを語っていきます。
塾に通うようになり、勉強が好きになっていった。ただ、母は複雑な思いで見ていたようだ。
週に5日塾に行き、毎日4時間勉強するので、家ではほとんど勉強せず、小6のときに買ってもらったファミコンにはまっていた。18時からの塾のため、部活もほとんどやっていない。なにより心配していたのは、小学校の時から通知表の所感の欄に毎年書かれる「自己中心的で思やりがない」との担任からのコメント。人間性をどのように鍛えていくのかという教育方針に行き詰っていたようだった。
試行錯誤が始まる。
中1の秋ごろだったか、夜塾の迎えに来た母が運動靴を渡して、「今日から走って帰りなさい。いつも部活をやっていないので運動不足でしょ」と言われ、それから母の迎えのときは必ず、車のライトに照らされ1時間ほどかけて田舎道を走って帰ることになった。
中2に上がろうとする3月、突然、母に4月から「新聞配達をやりなさい」と言われ、さすがにギョギョっと思った。塾に週5回通い、深夜に走って帰り、早朝から毎日新聞配達をやるのを想像するのは、中学生の私にはかなりの覚悟を必要とした。しかし、「教頭先生の許可も取ってきている」、「今新聞配達をやっている高校生が就職するので空きが出た」、「頭は塾で鍛えている、体は走ることで鍛えている、心を新聞配達で鍛えなさい」、「バイト代の半分はお小遣いにして良い」、「新聞配達はやりたい人が多くて競争が激しく、誰でもはできないのよ」など、巧みな説得と外堀を埋められたのと、やってやろうじゃんという冒険心から、決意することになった。
新聞配達は始めこそ、早起きして気持ち良かったが、すぐにその厳しさを実感することになる。毎日欠かすことができない、毎朝4時半に起きなければならない、新聞を楽しみに家の前で待っているお年寄りの方が結構いる。寝坊もできない、雨の日も、学校行事がある日も、定期テストの日も当然休めない。雨の日なんかは新聞が濡れないように丁寧にポストに入れなければならない。
ただ、新聞を楽しみに待って頂いている方がいると思うと、やりがいもあるし、時々感謝されたり、褒められたりすると励みになった。こどもながらに責任感や使命感を醸成するのには大いに役に立った経験だった。
私なりには充実した日々であったが、私の人間性に対する母の不安は払拭されることはなく、ますます増大していったようである。
中3になる春休み、またも突然、「あなたは明日から塾に行かなくて良いよ」と宣告され、理由を聞いたり、反論を試みたりしたが意志は固く、中学生の私ではどうすることもなく受け入れざるを得なかった。
毎日楽しく、本当に楽しく通っていて、厳しい選抜テストで生き残り続けて、小数精鋭のクラスでこれから受験に向けて頑張ろうとしていた矢先だった。今でも覚えているのは、塾をやめるように宣告された日は、塾のクラスのメンバーで、以前から楽しみにしていた「逆襲のシャア」を見る約束をしていた日であった。