塾と私(2)
学びの場の価値を高めるプラットフォームを提供する、
FLENS(フレンズ)株式会社の社長・大生 隆洋のコラムです。
ICTを活用し、教育の新たな価値を生み出すことに挑む、その想いを語っていきます。
私が中学に上がると、母が家で塾を始めた。
自宅の床の間で母を中心に長机を配置して、10人くらいがロの字で勉強する感じだったように思う。母はOL時代に、1人で塾を実家でやっていたようで、私は数少ない写真や毎年定員で数年先まで予約が入っていたという母の話から盛況だったんだなぁ~と昔話程度に聞いていた。
それが中学生になったころに突然、塾をやり始めると言ってきてびっくりした。そもそもただでさえ昼間は忙しく働きづくめな上、OL時代に住んでいた都会と違って、私の家は田舎で、隣の家まで200mは離れており、人口も8000人の小さな町。どう考えても難しい気がしていた。
私は自宅から離れた街の塾に通いながら、母の挑戦を見ていた。
不思議なことに、こどもたちが結構通ってくる。はじめは近所の子が多かったが、半年もすると車で送り迎えして通ってくるこどもが増え、1年半くらいでいっぱいになり、数年先の予約まで入るようになっていた。
中2になると、私の塾での勉強は中3後半の内容になっていたので、塾が休みの日は母に数学と理科を手伝ってと言われ、教えるようになった。母の教え方、子どもへの接し方などを見よう見まねでやっているうちにコツがわかってきた。私の担当した生徒には、友達や後輩、中には中3の先輩もいたが、みんな学校よりも分かりやすい、やる気になる、勉強するのが楽しくなったなどと言ってもらえた。
母の先生っぷりを見ていると、こどもの考えに寄り添いながら一緒に解決をするが、基本はこどもに考えさせ気づかせる、そしてこどもが自分一人でできたことを褒める。こどもの小さな疑問、発見、成長をひろい褒める。結果には徹底してこだわり、褒める、励ます。そして依怙贔屓をしない、誰にも平等に接する。
教えるとは、「知識・解法を伝達すること」ではなく、「自ら頑張る姿勢をつくること」であることを教えられたように思う。
私の先生としての原体験はここにあるように思う。